源頼朝と土肥実平
治承4年8月17日源頼朝の挙兵→治承4年8月20日相模国土肥郷への進軍→治承4年8月23日石橋山の合戦→治承4年8月24日相模国土肥椙山隠潜→治承4年8月27・28日安房国への船出→治承4年8月29日安房国上陸→治承4年9月5日洲崎神社参拝
土肥実平の案内で、土肥杉山山中の岩屋や臥木の洞、あるいは小道の峠にあった御堂に匿われ、なんとか平家方の目から逃れた頼朝主従は、山を下り、真鶴へ向かいました。
そして、治承4年8月27日、土肥郷岩浦(現在の真鶴町岩)から北条時政や岡崎義実などの第1陣が房州に向け船出したと吾妻鏡は記しています。また、吾妻鏡では頼朝や実平は、北条時政らの先遣隊の船出の翌日、28日に土肥郷の真鶴ヶ崎から安房の国へ向けて船出したとしています。
ここで、注意すべき点は、安房の国への船出が2回に分けて行われたことと1日目を岩浦、2日目を真鶴ヶ崎と場所を変えて船出したとされていることです。 しかしながら岩海岸には現在、頼朝開帆の碑が建立されています。これは、頼朝の安房の国への船出に関して吾妻鏡の記述ではなく、源平盛衰記の記述を重視したことによるもので、源平盛衰記は、「土肥次郎が出富の小検校から小舟を借りて真鶴岩が崎というところから急いで船出した。」と記しています。
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