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源頼朝と土肥実平

治承4年8月17日源頼朝の挙兵→治承4年8月20日相模国土肥郷への進軍治承4年8月23日石橋山の合戦治承4年8月24日相模国土肥椙山隠潜治承4年8月27・28日安房国への船出治承4年8月29日安房国上陸治承4年9月5日洲崎神社参拝

吾妻鏡 治承4年8月17日 源頼朝の挙兵

 源頼朝は平治の乱で敗れた後、伊豆の蛭ヶ小島へ流され、その後20年にわたって流人として平家の監視下に置かれていました。
 そして、治承4年、以仁王の平家追討の令旨を受け旗挙げを決意。かねてから崇拝していた三島明神(現在の三島大社)に戦勝を祈願し、その三島明神の祭礼が執り行われていた8月17日の夜、祭礼のために警護が手薄になった平兼隆の館を襲いました。この戦は翌日未明まで続き、勝利をおさめた頼朝軍は伊豆の国を出て、相模の国土肥郷の土肥実平の館に向かいました。
 


三島大社
戦勝を祈願した三島大社
(みしまたいしゃ=静岡県三島市)

 源頼朝が平家追討の旗挙げをする際に、戦勝祈願をしたのは、かねてから崇拝していた三島大社でした。
 また、頼朝の監視役であった山木判官の平兼隆を討ったのは、三島大社の祭礼の夜であったとされています。
 三島大社の境内には、頼朝旗挙げ碑が建てられ、この地が武家政権樹立という偉業達成の出発点であったことを現在に伝えています。



交通:JR東海道線三島駅から徒歩10分/伊豆箱根鉄道駿豆線三島田町駅から徒歩5分
 

源頼朝旗挙げ碑

天然記念物の金木犀

屋台囃子(三島大社前)
 

蛭ヶ小島
頼朝配流の地 蛭ヶ小島
(ひるがこじま=静岡県伊豆の国市)

 平治の乱に敗れた源頼朝は、14歳の時に伊豆の蛭ヶ小島へ流されました。現在、蛭ヶ小島と呼ばれている場所は、住宅や田畑に囲まれた平地ですが、頼朝が流されていた頃は、乱流する狩野川の中州であったと考えられています。
 そしてこの地が、江戸時代の国学者秋山富南によって頼朝配流の地と推察され、現在に至っています。


交通:伊豆箱根鉄道駿豆線韮山駅から徒歩10分(0.8Km)
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